2025.12.14
マルト・スタム「カンティレバーチェア」本革の張り替え修理
修理内容
- モデル名
- カンティレバーチェア
- 種類
- パーソナルチェア
- 修理工賃
- ¥30000〜¥60000
- お預かり期間
- 3週間
- 配送方法
- 家財宅急便
- 依頼地域
- 愛知県西尾市
- 修理内容
-

椅子やソファにも時代を超えて愛され続ける「名作」と呼ばれるものが存在します。
今回、お預かりした椅子もその一つで、弊社ではおなじみのイタリア・スティールライン社製の「カンティレバーチェア」
バウハウスの建築家、マルト・スタムによってデザインされた、モダニズムデザインの象徴とも言える椅子です。
ご依頼いただいた時点での状態は、長年の使用と経年劣化により、座面の革が中央から真っ二つにきれてしまっているという、痛々しいものでした(画像参照)。
しかし、スチールのフレームは、まだまだしっかりとしていて修理を手掛けていてもまだまだ長く十数年は使っていけそうな感を受けました。
本記事では、このカンティレバーチェアの修理プロセスを追いながら、その構造の特殊性や、素材選び、そして職人の技術などについて、詳細にご紹介していきます。
カンティレバーチェアは弊社でも張り替え事例の多い椅子の一つで、同じような劣化の症状でお困りの方の参考になればと思います。
- 「カンティレバーチェア」の構造と歴史
この椅子が持つ特別な構造と、その背景にある歴史について紐解いていきましょう。
「片持ち梁」がもたらした革命
「カンティレバー(Cantilever)」とは、建築・構造力学の用語で「片持ち梁(かたもちばり)」を意味します。
通常、橋や建物の梁は両端で支えられますが、カンティレバーは一端だけが固定され、もう一端が空中に突き出している構造を指します。身近な例では、飛行機の翼や家屋のベランダやひさしなどがこれに当たります。
この建築構造を大胆にも家具に応用したのがカンティレバーチェアです。
最大の特徴は、見ての通り「後ろ脚がない」こと。
一本のスチールパイプを曲げて作られたフレームが、座面の前方から床へと繋がり、そのまま後ろへ回って全体を支えるという、当時としては革命的な構造でした。
「カンティレバーチェア」の他、「キャンティレバーチェア」や「カンチレバーチェア」などと呼ばれる事があります。
マルト・スタムとバウハウスの実験精神
この構造を最初に考案したのは、オランダの建築家マルト・スタム(Mart Stam)だとされています。
1920年代後半、ドイツの造形学校「バウハウス」を中心に、新素材であるスチールパイプを使った家具デザインの実験が盛んに行われていました。
スタムは、ガス管を繋ぎ合わせて試作した椅子で、この「後ろ脚のない椅子」の構想を具体化しました。
彼のデザインは、装飾を極限まで排した機能主義の極致であり、その後のミース・ファン・デル・ローエやマルセル・ブロイヤーといった巨匠たちにも多大な影響を与え、数々の名作カンティレバーチェアが誕生するきっかけとなりました。今回お預かりしたスティールライン社のモデルは、その原点とも言えるスタムのデザインを忠実に再現したリプロダクト製品です。
「空気の座り心地」
後ろ脚をなくすという発想は、単に奇抜なデザインを狙っただけではありません。
スチールパイプの持つ「しなり」や弾力性を利用することで、まるで空中に浮いているかのような、独特の浮遊感のある座り心地を実現したのです。
これはしばしば「空気の座り心地」と表現されます。
硬質な素材を用いながらも、柔らかな座り心地を生み出す。この相反する要素の融合こそが、カンティレバーチェアがモダニズムデザインの傑作とされる所以の様です。
- 修理前の状態
改めて、修理前の状態を見てみましょう。
座面の中央が完全に裂け、革が垂れ下がっています。
背凭れの角も擦り切れ、ステッチラインを境に一部破れも生じています。
革自体が乾燥して硬化しているのが見て取れます。
クッション材を持たない、過酷な構造
この破損の仕方は、カンティレバーチェア特有の構造に起因しています。
一般的な椅子やソファの場合、座面の下にはウェービングベルトやSバネといった衝撃吸収材があり、その上にウレタンフォームなどのクッション材が乗っています。
そして、その表面を張り地(ファブリックや革)が覆うという多層構造になっています。体重はこれらのクッション材全体で分散して受け止められます。
しかし、マルト・スタムのカンティレバーチェアには、それらが一切ありません。
あるのはスチールのフレームと、そこに張られた「革一枚」だけです。
座る人の体重と、座ったり立ったりする際の衝撃のすべてを、この一枚の革だけで受け止めなければならないのです。
経年変化で革の油分が抜け、繊維が乾燥して柔軟性を失った状態で、繰り返しかかる荷重に耐えきれなくなり、最も負荷がかかる中央部分から破断したと思います。
- 使用する革は本厚ヌメ革
この特殊な構造ゆえに、張り替えに使用する革は「3mm~4mm厚の本厚ヌメ革」を使います。
なぜ、これほどの厚みが必要なのでしょうか。
通常の革では耐えられない
一般的なソファや椅子の張り替えに使用される革の厚みは、おおよそ1.0mm~1.5mm程度です。
クッション材がある通常の椅子であれば、この厚みでも十分に機能します。
むしろ、厚すぎるとゴワついて座り心地を損ねたり、複雑な形状への縫製や張り込みが難しくなったりします。
しかし、前述の通り、クッション材が一切ないカンティレバーチェアに、この一般的な厚みの革を使ってしまうとどうなるでしょうか。
薄くてある程度伸縮性のある柔らかい革を使うと、座った時に革が伸びて荷重を支えられずにお尻が落ちてしまいます。
また、常に伸びが発生するので耐久性に問題があります。
薄い革を使って張り替える方法もありますが、基の作りを再現するという意味においても厚いヌメ革を使うのがベターだと思います。
強度を持つ「3mm~4mm厚」の世界
そこで必要となるのが、通常の3倍以上、3mm~4mmという極厚の革です。
厚ヌメは柔らかさが求められるハンドバックなどでは使用されるケースは稀ですが、ベルトやカバンや小物類などにも使われる革です。
この厚みがあって、クッション材の助けなしに、大人の体重を長期間支え続けることが可能になるのです。
- 裁断や縫製
素材が決まると次は型取り・裁断・縫製へと作業が移ります。
型取りと裁断
まずは、破れてしまった元の革を慎重にフレームから取り外し、革とフレームをベースに新しい革の型取りを行います。
革は部位によって繊維の方向や強度が異なるため、裁断の方向なども確認し配置を決めて裁断します。
剛直な革を縫い上げる技術と「白いステッチ」
裁断が終わると次に縫製作業になりますが、これほど分厚い革を縫い合わせるには、専用のミシンと、経験が必要かと思います。
厚みのある革の為、縫製時には針が革に通るたびに雑音が周りに無い時は、サクサクとした音が聞こえます。
今回の修理では、元の仕様を再現するため、「白いステッチ」を入れました。
黒い革に対してコントラスト際立つ白い糸は、この椅子のデザインにおいて非常に良いアクセントになっています。
張り込み作業
最後は、縫製の仕上がった革をフレームにハメていきます。
特に座面は、座った時に適度なテンションがかかるよう、きつ過ぎず緩すぎずのサイズで作ります。
- 完成
こうして、すべての工程を経て、カンティレバーチェアの張り替えが完了します。
張り替え完了後は真っ二つに割れていた座面は、厚みのある本厚ヌメ革によって再生されました。
張られた革の表面は滑らかで、黒い革のエッジに走る白いステッチのラインが目を引きます。
スチールのフレーム部分は、年数が経過するとカビや錆が付着する事が多く張替えの際にはスチールのフレームの磨きをすることも可能です。
磨きを掛ける事でリフレクションが蘇ったりもして、椅子全体の印象もかなり変わります。
座ってみると、3mm~4mm厚の革がしっかりと体重を受け止め、その下のスチールフレームがわずかにしなることで、独特の「空気の座り心地」が甦っているのを感じます。
- まとめ
今回の修理では、イタリア・スティールライン社製、マルト・スタムデザインのカンティレバーチェアの座面と背凭れの張り替えを行いました。
素材には、本厚ヌメ革を使い、オリジナルの仕様に基づき白いステッチで縫製を行うことで、本来のデザインが持つ視覚的なコントラストも再現しました。
クッション材を用いず、フレームと革のみで構成されるカンティレバーチェアは、張り地の強度や縫製の精度などが機能性に繋がります。
今回の張り替えによって、この椅子特有の弾力ある座り心地を回復させ、これからも長期にわたって使用できる状態へと張り替えが完了しました。
なお、今回に限らず革素材は安くはない素材なので出来れば長く使っていきたい素材です。
修理後のケアについても、必要に応じてアドバイスさせていただきます。
当社ではブランド品やノーブランド品に関わらず、古くなってしまった愛用のソファや椅子の張り替えや修理を行っております。
でお困りの際は、お気軽にお問い合わせください。
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